好きなことを、好きな分だけ。

世界一面白い日記書く人です。どんな名文よりもすばらしい駄文を書くために、日々精進しています。

カエル君という男

200909

 

今日は研究室を休んだ。まあずる休みなんだけど、たまには許してほしい。朝起きたときに一発目に思ったのが研究室に行きたくないということだった。予感は大事だ。だから、たまには許してほしい。

べっ、別に逃げたわけじゃねえからな!?

それにしても心配の連絡一つ届かないとはどういうことだ。少しは俺のことを心配してほしい。

 

今日は友達と通話した。そいつはTwitterを介して最近友達ができたらしい。

その友達の友達というやつがなかなか変わったやつなのだ。

家でカエルを飼っているくらいにカエルが大好きな男の子で、カエルの不器用そうなところが好きと言う。カエルは決して人間には似ていないということを認めつつも、カエルに人間的魅力を感じる変態である。もっと言うとカエルがよく童話の悪役にされることを嘆くほどに感情移入してしまっているという変態だ。

しかし、俺は話を聞いていてそいつに会ってみたいと思ったし、ちょっぴり彼をうらやましく思った。

 

ある物事に関して俺には分からない価値を知っている奴、そしてそれについてオタク的な探求心を持ち、目をキラキラさせながら語る奴。そういうやつに時折出くわすことがある。電車の時刻表に異常に執着する者もいれば、マッチ棒でボートを組み立てることに命を燃やす者もいる。まあそんな奴らに比べると「カエル君」はまだメジャーな部類なのかもしれないが、やはりカエルの価値というのは俺には到底理解できないものだ。

しかし、俺が知らない価値を知っている者に対して、悔しいというか、うらやましく思ってしまう。

 

理由の一つは、俺にはきっと情熱的に探究したり語ったりできる物事がないからだと思う。だから、なにかを追いかけたり語ったりできる人のことをとても素敵だと思える。そして、そんな風に熱中できる「何か」を既に見つけた人のことをうらやましく思ってしまうのだ。

 

もう一つの理由は、その物事には誰かをとりこにするほどの価値が眠っているというのに、俺がそれに気づけてないからだ。

仮に大学でみんな等しく微分積分の授業をとっているとしよう。そこで友人の一人が俺に微分積分の魅力を熱く語るわけだ。ライプニッツの公式、ラグランジ平均値の定理マクローリン展開…。俺から見ればそんなもの数字とアルファベットの羅列で、ただ暗記するだけ脳の記憶領域を狭める、うざったいものでしかない(数学好きさん、ごめんなさい)。しかし、彼は微分積分に、俺には見えない価値を見出している。俺は微分積分という鉱石の価値を理解できない。その人の好きなもの、そして微分積分という学問の魅力を理解してあげられないことを、俺はひどく残念に思うわけだ。

そして「価値」は微分積分だけではない。それは小説の一文に、それは今日の夕焼け空に、それは昨日の晩御飯に眠っているものかもしれない。そういった物事の価値を俺はすべて理解したいと思うのに、理解できないまま、さらに言えば多くは気づけないまま通り過ぎてしまう。俺はそれがとても悲しくて、自分がふがいなく思えてくる。

 

そういった意味で、俺は「カエル君」がうらやましいし、彼と話してみたいと思った。

カエル君はものすごい勢いで通り過ぎ行く物事の中から、きらりと光る「価値」を拾い上げたすごいやつだ。きっと俺の友達にもいい影響を及ぼしてくれるだろう。

 

そんなことより明日は研究室行かなきゃな。早く寝よう。おやすみなさい。