好きなことを、好きな分だけ。

世界一面白い日記書く人です。どんな名文よりもすばらしい駄文を書くために、日々精進しています。

母への感謝とゾンビサファリパーク(前編)

親、襲来。

 

前回の日記はもうすぐ家族が実家からはるばる家にやってくるぞ~、という予告で終わった。

 

sukinabundake.hatenablog.com

 

そしてそのXデー、親がやってくる日がいよいよ明日になってしまった。

親はただ顔を合わせて話したいがために来るのであって、特に何の用事もない。

ただ、欲しいものがあればもっていくと言ってくれたので、俺は一つだけ持ってきてほしいものを言ってみた。

 

 

それは、ギターである。

 

 

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え?あなた、音楽の素養あったんですか、って?ノンノン、そんなものございません。

しかし人間は自分にないからこそ欲しがる。自分にないものこそ美しく見えるものだ。

 

俺には音楽の素養はまるでない。生まれて触った楽器はカスタネット、鍵盤ハーモニカ、リコーダーのみ。

あと、貧相な体に口笛ひとつ携えて生きてきた。

 

そんな俺でも音楽に対してあこがれを持つ時はある。

 

 

少し前の話になるが、俺には俺のことを好いてくれる幼馴染がいた。

すごくいい子だったのに、あろうことか俺は俺のことを5年間一途に好いてくれていた彼女を袖にしてしまい、彼女は以前とはまるで変わってしまった。

まず、自分の身体を大切に扱わなくなった。たくさんの男と一夜限りの恋愛を重ねるようになった。

また、なにをしてても楽しそうな表情を見せなかった。いや、というよりかは、楽しそうな表情をしても目に光が宿っていないというか、なにかしら空虚な笑顔というのがそこにあった。

そんなことお前に分かるのかと言われそうだが、確かにそこに違和感を覚えた。そしてその違和感は、当然ながら俺が振った後の彼女からしか感じないものだった。

 

しかし、彼女にも変わらないものがあった。

それは「音楽の好み」である。彼女が好きだったバンド、シンガーソングライター、アーティストなどはどれも変わらなかった。

振ったこと、というか振ることによって彼女を変えてしまったことを激しく公開していた俺は、その時期から音楽をやたら聴くようになった。幅広いジャンルの曲を、漁っては聴き、漁っては聴いた。それも、彼女が聞いていた曲から派生するように、いろんな曲に裾野を広げていった。

その時はなぜ自分がこんなにも音楽に執着しているのか分からずに聴いていたが、今ならわかる気がする。

 

おそらく、音楽が今の彼女に残された、以前の彼女を思い出せる最後の要素だったからだ。すなわち、見当違いかもしれないが、俺は変わってしまった彼女に、音楽を通して以前の彼女を見出しているのだと思う。

 

音楽を聴き漁っていたからか、音楽が変わってしまった彼女の中の変わらない要素だったからか、俺は音楽に憧れた。あるいはその両方かもしれない。

 

前者は、単に音楽を聴くたびに音楽のおもしろさを少しずつ理解できるようになったというのが大きいと思う。寂しいときにそばにいてくれて、悲しいときに気分をあげてくれる。たった数分の間に、こんなにも人の感情を揺さぶるものは他にないと思う。そういうところに憧れた。

 

後者は、彼女が変わろうとも音楽の好みは変わらないということから、音楽は人の根底に根付くものなのかもしれないと思ったからだ。そのことは、結局変わったのは彼女の浅い部分だけで、実は深い部分は以前となんら変わっていないんじゃないか?という希望を持たせてくれた。それほど人間の深くまで浸透していける「音楽」というものに、俺は憧れに近い感情を持った。

 

このようにして、俺は奇しくも彼女を傷つけることで音楽の面白さを知った。

そしてその音楽というものに、俺自身も触れたくなったので、ギターを持ちたいと考えたわけだ。

 

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そこで、先日彼女からのLINEかと思われそうなLINEを送ってきた母に実家にあるギターを持ってくることを頼んでみた。

すると返信、

 

「ギターはもっていかない」

 

ん?いやいやなんでや。

いやそちらが俺の都合をわきまえず、いきなり会いたいから会いに来るっていうのに、こっちのわがままは許せないんですか、と。

そこでカチンときてしまった俺は、あろうことか、

「なら言わせてもらいますけど、俺にだって予定はあるし、今は会いたくありません」

と口に出してしまった。

母からの返信は、

 

わかった。会わない。

 

あー、やってしまったなあ…。

そんなわけで親と会う雲行きが怪しくなってきた。まだ反抗期が続いていたのか俺は。

どうなってしまうんだ俺の家族関係は。

 

後半へ続く

【問題】生きるのが下手な蜘蛛

研究室のトイレに蜘蛛がいる。

コンビニへ歩いている途中に、研究室の先輩・塚本さんが突然話し出した。

そいつはずっとトイレにいる蜘蛛らしい。

いる場所は行くたびにコロコロ変わっていて、ある時は天井に、ある時は個室の入り口に、またある時は便器と便器の間に巣を構えている。

こいつは几帳面な蜘蛛なんだと塚本さんは言う。巣を新たに作るために、古い巣を毎回撤去しているらしい。

そんな馬鹿な事あるかと俺は思ったけれど、塚本さんは「古い巣を食べて新しい巣にリサイクルしている説」を固く信じているらしい。

しかし、うちのトイレは基本的に虫がいないので、獲物なんて来ないはずだ。

塚本さんも、だから見るたびにやせ細っているのだ、と言っていた(蜘蛛がやせ細っているなんてわかるのだろうか)。

俺はその蜘蛛を不幸な奴だと言った。塚本さんはその言葉に頷いた。巣をどこに張ったって虫なんてこないのに、と。

その蜘蛛はきっと、一生外の世界を知らずに、せこせこと巣をつくった挙句、餓死してしまう。

 

これと同じことはなにもこの蜘蛛にだけ当てはまることではない。

ある場所――会社、組織、サークル、部活、家庭…に入ってしまったことが原因で、外の世界を知らないまま、自分の他の可能性を知らないために、自分を活かしきれず死んでいく。これは全ての人に当てはまると思う。

 

外に出ればいろんな人に出会う。警察官、大工さん、料理人、水道局の人、コンビニの店員、医者、教師、学生、トラック運転手、自衛官。それこそ数えきれないほど多くの場所の人と出会うことになる。

自分がどこかに所属してしまえば、他の世界のことはほとんど知らずに死んでいく。

本当は今所属しているところが最善ではなくて、もっと自分が成功できて楽しめる場所があるのかもしれないのに。

 

そんなこと言ったって仕方ないじゃないか!

君の中のえなりかずきがそう叫んでいるのは俺も承知している。

どうあがいたって他の人生のパターンを知って吟味することなんてできないからだ。

研究室のトイレに籠るより公園の公衆トイレに籠るほうが獲物は集まっていると知っていたなら、あの蜘蛛だってそうしているはずだ。

でも実際は研究室のトイレにいる。

結局のところ、ほかの環境が自分に合っているとか、そういったことは外からでは本質的に理解できない部分なのだろう。

どうすれば、自分が最も幸福になれる場所を見つけられるのだろうか?

 

これは誰だって抱きうる問いだと思う。俺だって時々考える。俺は将来研究者になろうとしている。これは俺が幸せになれる道なのか?これが正しい道なのか?何度も何度も繰り返した問いだ。

 

この答えはいまだに出ていない。またなにか考えられたら書こうと思うし、この日記を読んでる人で、もしなにか考えたことがあれば教えてほしい。

 

 

ちょっと暗い、難しい話をしてしまったので明るい話を一つだけ。

母からこんなLINEが届いた。消している部分は俺の住む地域と俺の名前である。

 

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「OOくんに会いたいんです 話したいやろ」

彼女か!!一瞬ギャルゲーかなにかかと錯覚してしまったぞ。

それにしてもこの時の俺の食い下がり方は半端ではない。どんだけ来てほしくないんだよお前って感じですね。

ちなみにその後のLINEで「一緒にごはん食べたりショッピング行ったりしよー」って来たのでおそらく相手は将来の彼女です(錯乱)。

とにもかくにも両親がくる。構えておかなければならない。

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嵐の二宮和也にしてください。

200914「嵐の二宮和也にしてください。」

 

「嵐の二宮和也にしてください。」

俺は美容室で席に着くなり、凛とした表情でこう言った。

 

俺は今日美容室にいく。みんなの好きな髪型を教えてほしい。

美容室に行く前にとった配信は女性リスナーしかいなかったので、面白半分で聞いてみた。やはりモテる髪型を知りたいならば、流行に敏感な女性諸君の生の声を聴くのが一番である。俺の選択は間違ってなかった。そう、間違ってなかったはずである。

それなのに、得られた回答は「坊主」「亀頭ヘアー」「リーゼント」「男のことは分からん」…。ああもう!!お前らは最高にかわいいやつらだ!!

しかし、こんな俺でも今はやりの髪型は知っている。今はやりの髪型とは、いわゆるマッシュというやつである。


まあ、マッシュといってもいろいろあるが、横と後ろを長めに刈り上げて、それ以外の髪を流したやつである。細かい定義が知りたければ各々調べるように。

俺は美大生の一件以来ファッションに気を遣い始めているので、そろそろこの「マッシュ・ビックウェーブ」に乗ってもいいのでは?と思い始めてきた。

しかし、この波に乗るには少し問題がある。マッシュと検索して出てくる参考画像のモデル、総じてイケメンなのである。こんな髪型、お世辞にもイケメンとは言えない俺に似合うのか、心配にならざるをえない。

そういった考えを経て、結局美容師の裁量に任せるのが一番ではないかと思い始めた。お任せ――すなわち「お前の今まで培ったすべての技術を俺の頭にぶつけてみろ」という意思表示、それこそ美容師の魂に火をつけ、俺の髪型を最高の状態にしてくれるのではないかと考えたのだ。

そうだ、それでいこう。お任せしか勝たん。そう思い始めていた矢先、こんなコメントが飛んできた。「お任せとかいう中途半端な奴が一番カモにされやすい。知識ないだろうから良いように言いくるめて、客は『そうなんだー』ってそれに乗っかって、美容師は『カモだ』ってなるし、客は客でこなれ感出す。」

お任せすら言えないのかこの世の中は!!いつからこんなに自主性を重んじられる社会になってんだよ!!つか、カモってなんだよ。

美容院予約30分前。追い詰められていく俺。きりきりと痛む胃。刻々と進む秒針。俺はどうすればいいのか。

リスナー「お前にできることは、写真を見せてこれにしてくださいということ。」

その助言に従っていろいろなモデルを検討したところ、二宮和也の髪型にしようという流れになってしまった。俺だって抵抗したよ。え?俺みたいな田舎侍が二宮和也になっちゃっていいんですか?って感じだからな。

やれんのか!!やれんのか俺!!

美容院で「嵐の二宮和也にしてください」は誰だって恥ずかしいと思うが、俺は覚悟した。この19文字、重いよなあ…。

 

その後俺は美容院に入った。

俺の行きつけの美容院はなかなかいい美容院で、学生街にあるくせに高級感があって、値段が少々お高い。俺のような社会のはぐれ者とは一切交わらないはずのタイプの散髪屋ではあるが、背伸びして通ってしまっている。普段、美容師も客もみんなイカしていて、店内でも俺は排斥されているような気分を味わうことになる。美容院が社会の縮図のようになってしまって、美容院にいる間は俺一人が社会全体の影を背負うことになる。

しかし今回は勝手が違った。今日は服装をよれたTシャツなんぞではなく、きっちりおしゃれしていった。見かけだけは陽キャの殻をぶっていたせいか、やたら美容師に話しかけられた。あるいは、いつものまぶしい世界におびえた瞳ではなく、「絶対に二宮和也になって帰ってやる」という覚悟で燃えた瞳になっていたからかもしれない。とにかく今回は無言の美容師ではなく、積極性があった。

「嵐の二宮和也にしてください。今回はイメチェンしたいんです。」

美容師は非常に困ったような顔をしていた。二宮和也ヘアーは今の俺とほとんど長さが変わらず、大したイメチェンにはならないという。店員はいう。

「結局のところ、あるところでは短め、あるところでは長めという緩急をつけないと、イメチェンにはならないんですよ」

「じゃあ、どんな髪型がいいんですかね」

「うーん、最近の流行りならマッシュとか」

「任せます」

お任せしか勝たん。そして、俺は今はやりのマッシュに乗っかることになった。

 

今回は髪を切ってもらっている間に雑談していた。店員は話しかけてくる。

「イメチェンしたくなるようなことがなにかあったんですか?」

「いやあ、女の子に振られてしまったんですよねえ」

「へえ、なんでなんですかー?^^」

それ分かったら苦労しとらんわい!!そう言いたくなる衝動をぐっとこらえて「本当に、なんでなんですかねえ…。」と絞り出した。

これだから美容師は恐ろしい。

美容師「彼女とかいますか?」

客「死にました…。」

美容師「なんで死んだんですかー? ^^」

とか平然と言ってきそうな恐ろしさがある。

こうしてカットは無事(?)終わり、店を出た。

 

最後におまけとして俺と研究者の先輩・塚本さんとの散髪後のやり取りを貼っておく。では、おやすみなさい。

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200913 「蝉」

 

なんということだ。蝉が鳴いていない。

今年の夏はいつのまにか蝉が鳴いていて、いつのまにかなきやんでいた。

今日の気温は24℃。雨の影響もあってか少し肌寒かった。もしかして、と思って週間気温をネットで見てみると、今週はもう30℃を超えないらしかった。

夏は終わった。

 

今年の夏、俺は何をしたんだろう。オンライン授業が続きに続いて、ずっと課題に追われていた。そこに研究も加わって、ずっと慌ただしくしていた気がする。交友関係の面では美大女子と美術館やカフェや映画館に行った。

 

次に俺はそこから何が得られただろうと考えた。

学校の課題はどうだろう。しばらく考えてみたけど、課題を通して自分が何かしら成長できたとは到底思えなかった。もらったレシートが溜まったら捨てるように、課題が溜まったら消化するだけだ。振り落とされないように必死だった。結局夏の課題を経て今残っているのは、空虚な達成感と適度なGPAだけだ。

研究でもそれは同じだ。怠けていない程度に実験して、間に合わせの結果をミーティングに提出するだけだ。

美大女子とは本当に何も残らなかった。夏のうちに出会って夏のうちに別れた。ひと夏の恋どころか、友人という関係にすらなれなかった。今でも時々考えるけど、いったい俺の何がいけなかったのか分からず、次に生かすこともできない。

 

結論としてこの夏はなにか得られたようで何も得られなかった。忙しくしているかそうでないかの違いだけで、本質的には家に引きこもって呼吸しているだけの大学生となんら変わらないように思える。

 

このことを考えたときに俺はすごく焦燥感と危機感を覚えた。まだ「なにもない夏だったな」ならいい。俺が恐れているのは、「なにもない“大学生活”だったな」さらに言えば「なにもない“人生”だったな」となってしまうことだ。忙しくしていることに意味はない。実の詰まっていない人生、なにかしていたようで何もない人生なんて嫌だ。何かを変えなければならない。

 

とりあえず、じっくり考えて短期・中期・長期の目標と予定を立ててみようと思う。少しずつやりたいと思ったことを達成していければ、成長も生まれるというものだ。

この日記を読んでいる人にお願いがある。もし、「なにもない期間」を送らないためのいい案があれば、是非とも俺に教えてほしい。別に無理強いはしないし、なにか思いついたり実践していることがあれば言ってほしい。

 

あと、今年の夏は終わったけど、来年こそ、来年こそは絶対いい夏にしてやろうと思っています。海に良き、プールに行き、花火を見て、して、天体観測もする。夏の大三角ならぬ陽キャへの大参画を決めてやるぜ~~~~~~!!ブイブイ

そして!そして神様!そこにできれば私と仲のよろしい女の子がいてくだされば、もう死んでもいい!!線香花火のように熱く儚い私の心臓を捧げられるような女性が現れたなら、それはきっとこの上ない幸せなのです。私の鼓動が停まった時、相手の女性の胸に新しい命が宿るような、そんな恋をしてみたいのです。

 

次の恋に思いをはせながら、今日も眠ろうと思います。おやすみなさい。

恋とパプリカ

200912

 

昨日は3時まで起きていて、今朝は8時に目が覚めたのであまり眠れていない。女友達ののろけ話をずっと聞かされていたのだ。気付いたら彼女に好きな人がいることを知らされて、気付いたらのろけ話になっていた。

そんな日記で取り上げるような話はしていないけれど、ひとつだけ記録しておきたいことがある。

 

それは、俺は声に感情が乗りやすいので注意しなくてはならないということだ。これは以前から言われていることでもあった。以前、配信に俺があまりいい印象を持ってないリスナーAが来た時に、他のリスナーにAのことをよく思っていないことがばれた。俺がそのAの名前を呼び方が異様に沈んでいたらしい。俺は思ったより本心を取り繕うことが苦手なのかもしれない。そしてそれは、昨日の通話でも指摘されてしまった。

 

「ひょっとしたら私の自意識過剰かもしれないけど」その女友達は言った。

「もしかして私のこと好きだったりする?」

そんなことなぜ聞くのか、と俺は尋ねた。のろけ話の話を持ち掛けられたとたんに俺の声が急に沈んだからだ、と彼女は答えた。

答えを先に言う。俺は彼女に恋愛感情はもっていない。

 

恋をした俺ほどわかりやすいものはない。脳みそは意中の人で満たされ、沸騰する。街角や大学の教室や路地裏。いたるところで意中の人を探してしまう。口を開けば体の中からその人への恋情があふれ出してしまうし、夜はその人のことを考えながら眠りに落ちる。意中の人がいない場所の空気は薄くて、死んでしまいそうになる。そうだ、俺は命を削って恋をしてきた。この恋がかなうなら死んでもいい。でも叶ったなら永遠にともに生きていたい。アンビバレント基地外じみた感情の爆弾を胸に秘めて俺は恋をしてきた。くだらないラブソングとか臭い詩とかそんな言葉じゃ言い表せない。今まで見たものが全部まがい物に見えるくらいの恋をしてきた。

 

そろそろくどいのでこの辺にしておく。でも、彼女に対してそんな徴候は現れない。だから、その女友達に抱く感情は恋じゃない。しかし、俺の声の沈みはいったいなんだったのか、気になるところではある。

 

話がそれてしまった。今回の件で分かったのは、声の調子は俺がどうにかしようとしてもどうにもならない部分があるということだ。今後は気を付けなければならない。

 

 

おまけの話としてもう1つ。

 

それは、俺が日ごろからお世話になっている先輩、塚本さんと映画の話をしたという話だ。塚本さんは無類の映画好きで、今日も家に帰ったら映画を見るらしい。おっ、君はそんな人と渡り合えるくらい映画知ってるんだー、と思われそうだが、全然そんなことはない。むしろ映画はあまり得意ではなく、かの名作「ラ・ラ・ランド」「レミゼラブル」を途中で見るのをやめたレベルである。俺の中でミアはいつまでも売れない女優のままだし、ヴァルジャンはいまだ牢獄の中である。

しかし、教養として名作と呼ばれる映画は知っておきたい部分はある。人と話すときにいいネタになったり、名作を通じて映画の面白さとはどういうものなのか知りたいと思うからだ。もうすぐ一人暮らしを始める予定なので、そうなったらプロジェクターでも買って映画を堪能しようと思う。

映画と言えば、映画監督の今敏氏が亡くなってから先月で10年たったことに気が付いた。彼の最も有名な作品は、「時をかける少女」を書いた作家・筒井康隆の小説をアニメ映画化した「パプリカ」である。f:id:sukinabundake:20200915185050j:plain

「パプリカ/千葉敦子は、時田浩作の発明した夢を共有する装置DCミニを使用するサイコセラピスト。ある日、そのDCミニが研究所から盗まれてしまい、それを悪用して他人の夢に強制介入し、悪夢を見せ精神を崩壊させる事件が発生するようになる。敦子達は犯人の正体・目的、そして終わり無き悪夢から抜け出す方法を探る。」(Wikipediaより)

パプリカは主人公である千葉敦子の夢の中での仮の姿である。要するに、千葉敦子はパプリカとして他人の夢に潜入し、DCミニを悪用する輩と対峙することになる。

私はこの映画を見たときにとんでもない衝撃を受けたことを今でも鮮明に覚えている。まずその作画。2006年に公開されたかなり古い映画にもかかわらず、今見てもそん色なく、むしろ「パプリカ」全体を通した芸術性では現代の映画のそれを上回っているように感じる。また、世界観もすばらしい。SF文学の巨匠・筒井康隆の描く、狂気ともとれる混沌とした世界が描かれているにも関わらず、話は一貫していて描写もうるさくない。この世界観のために、視聴者は「狂っていることが正常」な世界に没入することができる。

まあこんな風に説明したとてパプリカの魅力は伝わらないと思う。百聞は一見に如かず。気になった人はぜひ観てみてください。

 

というわけで今日はこの辺で。もうねる。おやすみなさい。

 

金田一がいっぱい!/イソという女/村上春樹の魅力

200910

 

今日は昼に起きて即座に研究室に向かった。

なんだか今日は天気が悪かった。雨が強まったり、弱まったりしてたから、弱まったタイミングを見計らって家を出た。

 

研究室に着いて始めにやることは、直属の先輩、塚本さんと駄弁ることだ。最近の俺はおしゃべりのために研究室に浸っている。先輩や親しい人達が研究室からいなくなってしまったら俺はどうなるんだろう。おしゃべりだけが研究室に来る理由になっているなんて、俺は研究者に向いてないんじゃないだろうか。そんなことを考えつつも、周囲に流されながら実験に励んでいる。

 

塚本さんとは最近見ている映画の話をした。塚本さんは映画が趣味で、アマゾンプライムで毎晩映画を見漁っている。

最近は金田一を見ているというから、金田一少年ですか?と聞いた。そしたら「違う」という。どうやら金田一少年ではないらしい。

国語辞典をつくる話ですか、と聞いた。そしたら「違う。それは金田一春彦や」という。どうやら「舟を編む」的な金田一が国語辞典をつくる話でもないらしい。

よく聞いてみると「金田一少年の事件簿」は金田一推理小説の派生であって、元祖は「金田一耕助シリーズ」というものがあり、塚本さんはこれを見ているとのことだった。

金田一耕助とは架空の私立探偵で、江戸川乱歩明智小五郎高木彬光の神木恭介と並んで「日本の三大名探偵」と称される探偵である。ちなみに金田一耕助シリーズの作者は横溝正史であって、金田一とはまるで無縁である。

世の中にはいろんな金田一さんがいるなあと思った。

ちなみにそのあと塚本さんに「今日早く帰るんですか?」って聞いたら「今日は早く帰るぞ!」って言っていた。「何時ですか?」って聞いたら「23時半…。」って言っていて、これがラボ畜かあって思った。

 

今日は研究室にイソがやってきた。イソは俺の研究室の同期の女である。こいつは富山の生んだ秀才で、うちの大学の医学部医学科に現役合格する実力を持ち合わせている。東大法学部の兄をこよなく愛していて、一定の学歴がなければごみのような目で見てくるので、俺のような底辺は小馬鹿にされるだけである。

しかし腐ってもお互いにとって研究室唯一の同期なので、たまには喋ったりすることもある。デートの際には恋愛相談に乗ってもらったり、俺が日記を勝手に送り付けては「怪文書」だと罵られたこともあった。その分俺もお返しはしていて、この前もパワーポイントの課題を実質俺が作ってあげた。

そのイソが今日研究室に来たのは、パワーポイントの課題のお返しをするためだ。

来た、と思った。とうとうこの時が来たか、と。

彼女は以前よりお返ししようしようと言っていて、そのたびに俺がデートしよう!!て言い続けてきた。そしてそのたびに断固拒否されていた。しかし俺はイソというダムをたたき続けた。そのダムがいつか決壊することを願って。

そんなことはどうでもいい。イソは今回のお返しに懸けている。俺が課題を終わらせてやったという恩を。

イソはまず塚本さんのもとへ行った。まあこれは予想していた流れ。まずは年齢が高い順にお礼参りするのが筋だろう。しかも驚くべきことに、塚本さんへのお返しはゴディバのチョコクッキーであった。これはくる。俺にはとんでもないものが来る!!俺は確信した。

次にイソは俺のもとにやってきた。正直庶民の俺にはゴディバのチョコ以上のものは思いつかない。

なにがくる。何が来るんだ。

そこでまさかの

き の こ の 山

俺も目を疑ったね。どうしたイソ。何があったんだイソ。

最後の最後にスライド一通り見せて、「いいね~」って言っただけの先輩にゴディバ。一生懸命尽くしに尽くしてくれた同期にきのこの山。これはおかしくないか。なんなら俺たけのこ派なんだが。

しかし、男児たるものもらったお返しに対してケチをつけるのは無粋である。しかしこれだけは伝えておかねばならぬと思い、俺はイソとのLINEを開いた。

「俺はたけのこ派だ!!二度と間違えんじゃねえぞ」

そしたらイソから返信が。

「気が向いたら覚えとく笑

恋愛相談もいっぱい乗ってあげたし、よく分かんないライン(日記の件だと思われる)にも丁寧に答えてあげたのにな…

君のたけのこ並みの成長に期待して、今度はたけのこにしてあげるよ笑」

こういうところはいい女だと思ってしまう。イソ、お前に彼氏ができない理由はお前のスカイツリーのごとく高じたプライドと、男側の見る目がないからだぞ。

「さんきゅな」と送っておいた。

 

最後に、今日友達の配信に寄ったことも書いておく。その配信で村上春樹の代表作「ノルウェイの森」の話をした。そもそもそんな話になった発端は、ノルウェイの森のヒロイン・緑を誉めたリスナーがいたことだった。俺もノルウェイの森は読んだことがあるし、村上作品の中でも好きな部類なので話に乗っかったのだ。まあその配信で展開されたノルウェイの森の話はどうでもいいのだけれど、個人的には村上春樹に少しでも興味を持ってくれた人が現れたことがうれしかった。賛否両論分かれるものではあるが、個人的には村上春樹の小説は総じて好きだ。アメリカかぶれの話し方も、他の人が思いつかないような秀逸な例えも、様々な解釈がわかれるような物語の構成も。文章一つ一つが精巧な腕時計の歯車のようにかみ合って、動きのある文章が練りあげられている。ぜひともそんな世界を他の人にも体験してほしいと思う。

 

今日はこの辺にしておく。

研究室で徹夜してしまったので早く帰って寝る。おやすみなさい。

カエル君という男

200909

 

今日は研究室を休んだ。まあずる休みなんだけど、たまには許してほしい。朝起きたときに一発目に思ったのが研究室に行きたくないということだった。予感は大事だ。だから、たまには許してほしい。

べっ、別に逃げたわけじゃねえからな!?

それにしても心配の連絡一つ届かないとはどういうことだ。少しは俺のことを心配してほしい。

 

今日は友達と通話した。そいつはTwitterを介して最近友達ができたらしい。

その友達の友達というやつがなかなか変わったやつなのだ。

家でカエルを飼っているくらいにカエルが大好きな男の子で、カエルの不器用そうなところが好きと言う。カエルは決して人間には似ていないということを認めつつも、カエルに人間的魅力を感じる変態である。もっと言うとカエルがよく童話の悪役にされることを嘆くほどに感情移入してしまっているという変態だ。

しかし、俺は話を聞いていてそいつに会ってみたいと思ったし、ちょっぴり彼をうらやましく思った。

 

ある物事に関して俺には分からない価値を知っている奴、そしてそれについてオタク的な探求心を持ち、目をキラキラさせながら語る奴。そういうやつに時折出くわすことがある。電車の時刻表に異常に執着する者もいれば、マッチ棒でボートを組み立てることに命を燃やす者もいる。まあそんな奴らに比べると「カエル君」はまだメジャーな部類なのかもしれないが、やはりカエルの価値というのは俺には到底理解できないものだ。

しかし、俺が知らない価値を知っている者に対して、悔しいというか、うらやましく思ってしまう。

 

理由の一つは、俺にはきっと情熱的に探究したり語ったりできる物事がないからだと思う。だから、なにかを追いかけたり語ったりできる人のことをとても素敵だと思える。そして、そんな風に熱中できる「何か」を既に見つけた人のことをうらやましく思ってしまうのだ。

 

もう一つの理由は、その物事には誰かをとりこにするほどの価値が眠っているというのに、俺がそれに気づけてないからだ。

仮に大学でみんな等しく微分積分の授業をとっているとしよう。そこで友人の一人が俺に微分積分の魅力を熱く語るわけだ。ライプニッツの公式、ラグランジ平均値の定理マクローリン展開…。俺から見ればそんなもの数字とアルファベットの羅列で、ただ暗記するだけ脳の記憶領域を狭める、うざったいものでしかない(数学好きさん、ごめんなさい)。しかし、彼は微分積分に、俺には見えない価値を見出している。俺は微分積分という鉱石の価値を理解できない。その人の好きなもの、そして微分積分という学問の魅力を理解してあげられないことを、俺はひどく残念に思うわけだ。

そして「価値」は微分積分だけではない。それは小説の一文に、それは今日の夕焼け空に、それは昨日の晩御飯に眠っているものかもしれない。そういった物事の価値を俺はすべて理解したいと思うのに、理解できないまま、さらに言えば多くは気づけないまま通り過ぎてしまう。俺はそれがとても悲しくて、自分がふがいなく思えてくる。

 

そういった意味で、俺は「カエル君」がうらやましいし、彼と話してみたいと思った。

カエル君はものすごい勢いで通り過ぎ行く物事の中から、きらりと光る「価値」を拾い上げたすごいやつだ。きっと俺の友達にもいい影響を及ぼしてくれるだろう。

 

そんなことより明日は研究室行かなきゃな。早く寝よう。おやすみなさい。